この街を、
より安全で魅力的な街に――。
京橋「まちづくり検討会」発足

「この街を、より安全で魅力的な街に生まれ変わらせ次世代に繋いでいきたい」。
そんな権利者たちの熱い想いから、京橋二丁目西地区に「まちづくり検討会」が発足した。2001年のことだ。東京駅から徒歩5分の好立地ながら、京橋二丁目西地区はそのポテンシャルを発揮できずにいた。老朽化した建物、狭い路地、空室がちなビル--。だが国による「都市再生特別地区」制度創設によって再開発の機運が高まるなか、当該地区の土地の権利者により「まちづくり検討会」が誕生した。検討会は再開発準備組合へと発展した後、当社を特定業務代行者の代表企業として選定。坂井は組合事務局へ出向した。
坂井は入社以来、ビル開発の用地取得を経てオフィスビルの企画・開発など、いくつものプロジェクトを経験し着々と成長していた。プロジェクトに際しては常にユーザー目線を重視しながら業務にあたっていた。こうした姿勢が評価され、早いうちから重責を任されるなど自信もついていた坂井だが、京橋の事務局に出向し、これまで自身が経験してきたプロジェクトとは全く違う側面に戸惑うこととなる。
そのひとつが意思決定の方法である。自社の単独事業では意思決定が自社内で完結したが、再開発事業では権利者の役員で構成される役員会(理事会)や権利者全員が参加する総会のなかで組合としての意思決定がなされるため、複数の関係者のなかでの意思決定を行う難しさがあった。
事務局に着任した時、準備組合は本組合への改組に向けて動き出していた。必要となる40名超の権利者の同意書取りまとめには坂井も加わり、数ヶ月の期間を経て本組合が設立された。その後に待つのは、建物完成後の権利持分を定めた「権利変換計画」の策定だ。
地元の権利者や行政など関係者の利害が複雑に絡み合うなか、誠実に、着実に、ひとつひとつまとめ上げていった。地元の声はダイレクトに事務局に伝わるため、地元からの意見や要望等を当社の事業推進部門にタイムリーに共有すると同時に、逆に地元の方々にも当社のプロジェクトに対する考え方を十分に理解してもらう。こうした積み重ねが、地元との信頼関係を更に強固なものにしていった。
当初見えない壁を感じていた権利者との間に、信頼関係が構築されていく実感が、坂井にとって大きなやりがいにつながっていった。本組合設立から1年5ヶ月後の2012年12月。権利変換計画は都知事の認可を受け、ついに工事へと着手した。「ここからがまた新しいスタートだ。」解体現場を前に、坂井はこれまでの苦労を胸の奥にしまいながら気を引き締めた。

予想を超える管理の現場
大崎でのPM業務の経験を
京橋で活かすために

坂井はここで一度、京橋から離れた。
プロパティマネジメント(PM = 不動産の運営管理)を担うグループ会社の中央日土地ビルマネジメントに異動し、「大崎ウィズタワー」の施設管理業務を担当することになったのだ。
「京橋エドグラン完成までの約2年の間に、私に施設管理の経験を積ませる意味合いがあったのだと思います。」
「大崎ウィズタワー」は市街地再開発事業により完成し、京橋同様、複数の権利者で構成された管理組合により運営されている。PM担当は2名体制で、テナントの窓口業務はもちろんのこと、設備管理、清掃などの管理業務から管理組合の運営まで幅広く対応する。
時に設備故障や破損などのアクシデントもあり、それらのトラブルに迅速・的確に対処することも求められる。もちろん、トラブルを未然に防ぐ日頃の危険予知や予防活動も欠かせない。
当社の開発部門はPM部門と連携しながら開発を進めていくので、開発部門にいた坂井自身、管理運営の業務はある程度イメージできていたし、理解していたつもりだった。しかし実際の現場は坂井の予想を超えて複雑なものだった。管理運営業務は多岐にわたるため、警備、清掃、設備保守等の複数の協力会社と連携して取り組む必要がある。
委託先や再委託先があり、多くの人が管理運営に携わることからその組織形態も複雑になる。依頼した事項がうまく伝わらないこともあるなど、多くの「会えない」人を動かす大変さ、コミュニケーションの難しさも実感していた。
例えば清掃業務では、テナント、清掃会社、当社それぞれ仕上がりのイメージにギャップが生じる場合がある。わずかなイメージのギャップでも、苦情や施設の品質低下に繋がりかねない。
「大崎ウィズタワー」ではPM担当として経験を積み、施設の価値向上に取り組んだ坂井。テナントからの要望に対しては、可能な限り声を拾い解決の術を探った。
また、協力業者とのコミュニケーションのなかで課題に気づき、それを解消していくことで管理の品質を向上させ、テナントや利用者の満足度向上に繋げていった。お客様の期待に応えることが出来た瞬間のテナントの喜びや感謝が、PM担当としての醍醐味であると実感した。
そして2016年6月。坂井はPMの立場で再び京橋の地を踏んだ。

グランドオープン直前の着任
目が回るほどの忙しい日々

ビル名は既に「京橋エドグラン」に決定、工事は進み、主要な建物はほぼ完成していた。
坂井の最初のミッションは、建物完成後に管理運営の主体となる管理組合の設立である。管理組合設立総会を開催し、組合の事業計画や予算等の承認を得るためには、再開発事業の推進を担う京橋事業部(当時)と中央日土地ビルマネジメントとの連携が不可欠となる。
「設立総会に向け、京橋事業部と密にコミュニケーションをとりながら入念な準備ができたことで、管理組合設立の決議をスムーズに行うことができました。その姿勢こそが当社グループを管理者として決定いただけた大きな要因のひとつだと思います。」
グランドオープンは3ヶ月後に迫っていた。坂井は時に膨大な業務量に圧倒されながらも、他のPM担当者や協力会社など多数の関係者と連携をとりながら、開業に向けての業務を着実に進めていった。
「京橋エドグランの担当として改めて着任してから開業までの3ヶ月間は本当に目が回るほどの忙しさでした。特に開業1ヶ月前からはそのピークで正直、当時の記憶もあいまいなほどです。ただ、日々、開業に向けてビルが着実に動き出していることは実感できました。」
開業後は商業施設への来場者数が日に日に増え、施設全体が熱気を帯びていく。オフィステナントも続々と入居、バックヤードも一気に慌ただしさを増していく。「これが、日本でもトップクラスのビルか…。」
坂井は京橋エドグランのパワーを体感する。

丁寧に、誠実に、そして愚直に。
ユーザーの声を
反映しより快適なビルに。

2016年11月、京橋エドグランは無事グランドオープンを迎えた。坂井は言う。
「実際にビルを使う方からは、さまざまな声が出ます。それらの声を丁寧に拾い上げ、新しく運用を見直していくことが大切。ここからが施設運営・管理の腕の見せ所です。」
大型複合ビルでは、さまざまな業種・業態のテナントがひとつ屋根の下に同居することになる。「さまざまなテナントの方々と日々接するなかで、ビルの使い勝手などリアルなユーザーの気持ちを感じることができています。また、管理の側面から『ビルが競争力を保ち続けるための開発の視点』も身に着けることができました。」
坂井は次の世代へも目線を投げかける。「個人的にはまだまだ経験が浅い管理運営という分野ですが、お客様に対する私たちの評価が会社全体の評価に直結することを実感しています。これまでにさまざまな業務で携わったたくさんの先輩方からアドバイスをいただいたことが、自分のノウハウになっているので、今後は後輩に対して経験や知識を伝えていきたいです。それが当社の社員全員のチカラを上げることに繋がり、強い会社になっていくのが理想ですね。」
丁寧に、誠実に、そして愚直に。そんな坂井のような社員が、この先増えていくのかも知れない。

※記載内容は取材当時のものになります。